徒然にアロマ日々の出来事について載せていこうと思います。
昨日は、2つの皇室ニュースがありました。
ひとつは、秋篠宮眞子様と小室圭さんの婚約内定会見。
 もうひとつは皇太子の八大行啓公務である国民文化祭に皇太子ご夫妻が奈良にお見えになったこと。
9月は重陽の月でもあり、陰陽の陽の気が最も強い月。
という事もあり、吉と出たのではないでしょうか。
私も今後お目に出来るか分からない生、皇太子ご夫妻を見る事が出来ました。大吉◎
そして、やはり気になったのは重陽の節句に用いられた『菊』が日本の国花や皇室の紋章に用いられている点です。
こんな話しがあります。
古代イスラエル崩壊後、10氏族が日出る場所を求め、大陸(シルクロード)を渡り日の出の方角、東の国、日本にも渡って来たという。それは新撰姓氏録に「弓月の国王、百二十六縣の民を引き連れてやってきた…集団の名は秦氏」とあり、弓月国とは、イスラエル離散後に建てた国(現在のカザフスタン辺り)で、弓月国にはヤマトゥという町があり鋳造や織物などの盛んな工業国だったそうです。
そして、宗教的解釈として星⇨月⇨太陽つまりはイスラエル⇨弓月⇨日本と考え、太陽の国、日本に渡来してきたというわけです。
また、こんな記事もありました。↓
自衛隊がイラクに派遣された当時、隊員の安否が気遣われましたが、イスラム教原理主義のリーダーは「自衛隊は他国の占領軍と違い、イラク市民を援助するために来ているので害を及ぼさないように」と公式見解発表をしたように、イラクにおいて日本は何かしら別格の存在であるようです。なぜならば、紀元前2000年ごろに歴史から消え去ったシュメールの末裔が、古代日本の文化に関わっていたと考えられるからです。その証のひとつが天皇家の菊花紋です。
皇室の表紋として著名な菊花紋は、延命長寿の効用を伴う延年草とも呼ばれる菊の花を原型に、その花弁が放射状に並んで日の光にも例えることができることから、日の出ずる国家の象徴である天皇家のシンボルとして創作されたと言われています。平安時代では「いろは歌」が普及するのと時期を同じくして、菊花紋は特に文様として流行し、宮中では年中行事として観菊の宴が始まりました。そして鎌倉時代、後鳥羽上皇のときに菊花紋が皇室の紋章として正式に取り入れられたのです…
http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=77
 日出る国、日本。天照大神を信仰の主とする日本ですが、それもイスラエル、更に遡ればエジプトからの流れの渡来人によって形態づけられたように書かれた文献もあります。
現在は天照大神は女神とされていますが、当初は男神であり、太陽=男性の象徴と見られていたようです。月讀尊は男神とされていますが、記紀では性別はないようです。
昨日の眞子様と小室圭さんの会見内容は小室圭さんを太陽、眞子様は月と見立てた内容でしたが、そう見立てるのが普通でしょう。
と、考えれば様々な日本のルーツや神様というもののあれこれが変わってきますね。
多角的に見る事が出来、大変興味深く感じます。
そして、やはり『橘』を知る上で秦氏がキーポイントである事は言うまでもありません。
雅子様は『橘』家紋の御家。奈良へのご公務では何かの力が働いたのかもしれませんね…

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