徒然にアロマ日々の出来事について載せていこうと思います。
 昨日は伊勢神宮と猿田彦神社にお参りしてきました。
8月なので大祓の時期は過ぎましたが、猿田彦神社では宮司さんが祝詞を奏上されていました。
祝詞、祓詞(はらえことば)になぜ今まで気を留めていなかったねかと、『橘』に携わる者として、情けなく感じました…
 祓詞の解釈は、伊弉諾尊が黄泉の国から帰ってきた時、身体に着いた罪、穢れ諸々を清めるために『筑紫の日向の橘の小戸(小門)の阿波岐原』にて禊、祓えをしました。
筑紫は今の九州、宮崎県日向灘沿いの阿波岐原付近の小さな河川口、恐らくは大淀川より一ッ瀬川に近い橘の自生している場所と推測されます。
 確かに宮崎海岸沿いは橘自生箇所もあり、信憑性は高いと思います。
また、魏志倭人伝によれば、有薑橘椒襄荷不知以爲滋味) 薑(キョウ)橘(キツ)椒(ショウ)蘘荷(ジョウカ)有り、以って滋味に為すを知らず。つまりは、『橘』は3世紀頃には日本に存在することを記しており、食べ物としては扱っていませをでした。
魏志倭人伝の伝承地は様々ですが、放射式読み方によれば、一ッ瀬川流域の妻町が投馬国と観られます。

邪馬台国を示す地図より抜粋http://www.geocities.jp/yasuko8787/0q-4.htm
『投馬』語義的には、「投」は「トウ」であり頭、疾(早く)(三省堂古語辞典)、「馬」は「メ」であり物と物の交差するところのすき間(字訓)と云う意味になる。総合すれば「流れの疾い海峡」第3部投馬国から邪馬壹国に至るまで一部抜粋
物と物との交際するところのすき間。即ち黄泉の国と人間世界との隙間とも捉えることが出来れば、伊弉諾尊が禊をするに相応しい場所であった可能性はあります。
大祓詞の作者は不明とされていますが、中臣氏が京都朱雀門で奏上したことが縁起とされている為、中臣氏の祖先、天児屋根命の作ではないか、といわれています。
それは、中臣氏の祖、中臣烏賊津使主(いかつのおみ)は審神者サニワであったことからも祓詞の内容はサニワならではの天児屋根命からの神託だったと視るのが自然ではないでしょうか。
現に、春日大社のご神事に現在でも橘の実を奉納しています。
では、なぜ『橘』だったのでしょう。
これは、想像ですが、橘には魔(罪、穢れによって付くもの)が嫌う、尖った棘、香り、強烈な酸味があり、それでいて朽ちらない植物。
私達の食生活においても、レモンのような酸は身体を綺麗にしてくれる役割があります、恐らくはそのような意味合いがあったのではないでしょうか。
また、神道に橘家神道(きつけしんとう)という神道が現存し、『橘』はまたそうした呪術的要素を今に残しています。
  垂仁天皇の命で不老不死の媚薬求めて常世国から橘を持ち帰ったとされる田道間守は、伊弉諾尊が禊した黄泉の国と人間世界との隙間、ある意味常世の国と観て相応しい場所で祓いに使われた『橘』を10年の月日をかけて持ち帰ったのではないでしょうか。
伊弉諾尊が祀られている宮崎日向海岸沿いの聖地に祓詞にある小戸(小門)の神社があるが、神紋はやはり橘紋。


宮崎みんなのポータルサイトより
http://www.miten.jp/miten/modules/addon_saruki/index.php/frame20160228.html
『橘』はそれだけ神事には欠かせない植物であり、だからこそ、容易には扱えない、理解なくして扱ってはならないのだろうと、今更ながら『橘』の凄さを感じました。
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